0%

日誌

リンク

雑記

ARIA The CREPUSCOLO を観た。
観てしばらくは本当に良いとしか語れない状態だったので、今少し経って咀嚼できそうなタイミングでちょっと書いておく。

そもそも ARIA The AVVENIRE について話さないと始まらないのだけれど、この作品は蒼のカーテンコールと題されたもので、ARIAの新作が観れるというだけでだいぶん満足した記憶がある。
ただ、新キャラが一気に二人出てきたことや、そも集合させることとARIAカンパニーに強く焦点を当てていたという面はあったように思う。新キャラが出たはいいけど、それは後輩三人組の役割を敷衍するうえで必要だっただけと、意地の悪い言い方をするとそうなってしまう。

ただ蒼のカーテンコールはまだ幕を引かず、その中で役割以上の存在として新キャラを形作りつつ、ちゃんと各会社でやっていくということは本当に嬉しい。

ARIA The CREPUSCOLO はアーニャの物語というよりは、多くアリスとアテナの物語ではあった。構成自体がアリスが先輩としての資質を思い悩むというものである以上、アーニャの物語にはできないのは致し方ない。
しかいs、そこにオリジナルキャラと最初のフラッシュバックを以て、アリスとアテナの物語をそのままアーニャとアリスの物語へと延長していくように思わせるのが本当に良い。ここから先はアリスとアーニャの物語が紡がれていくであろうことは想像に難くない。

個人的な話をすれば、希望の丘の話がトップに入るレベルでかなり好き。なので、この話をもとにアテナの視点で補完が入ったこと、そこから劇場での共演へとつながっていくこと、これらが本当に良かった。

あの話は、ARIAという作品の性質をかなり強く示している。
ARIAはゴンドラをこぐスポコン漫画ではなく、ヒーリング日常系漫画。なので、練習風景は出るけれど、それらの練習に強くフォーカスは当たらない。それでも、この物語はちゃんとゴールとしてプリマになるというものを設定している。
そして、そこに至るまでに練習の描写は濃くないにもかかわらず、希望の丘の話はプリマになるというゴールを達成するにあたり、いささかの違和感も与えていない。そこにあるのはプリマにふさわしいアリスの姿だけである。

ARIAという作品は確かに日常系であり、特訓で何か強くなったり、何かの技能を会得したりとか、そういう展開はない。明確に何かが強くなったりパワーアップしたりするような描写はあまりない。
日常系、とくに緩やかなものを描く作品では、そのゆるやかな流れが永久に続くように描かれることも多い。強い刺激も変化もなく、無限に続く水平の上に立脚している安心感がある。
ただ、ARIAは緩やかなものを描き、そこにある瞬間は一見永久に続くように描かれているけれど、たしかに少しづつ変わっている。それは明確なパワーアップではなくて、例えば先輩の助言だったり、その居振る舞いを見た心情であったり、時には同期の行動だったりする。外見的な変化はなく、それが大きく取り上げられることもないいくつもの日常の積み重ねが、確かに後輩三人組をプリマへと押し上げている。

希望の丘の話は、それをダイレクトにたたきつけてくる。最初のころの半人前のアリスは、確かな説得力をもって一人前のプリマとして描かれている。
あの話を読んだときに、変わらないものはないことを、この物語が成長を確かに描いていたことを深く感じ入った。それは先輩三人組が永遠に続くかのような日常をすでに過去のものとして、されど「あの頃も楽しかった」と表現していたことに通ずる。

んで、今回のARIA The CREPUSCOLOである。いや良すぎた。
いやまあ、最初のフラッシュバックとか、希望の丘に舞台を映しての共演とか。ベファーナ回の回収とかアテナさんのこととか、言い出すときりがなくてとても出ないけど紙面が足りん。また後で書こう。

リンク

  • RAM
    • 最近はChrome使ってないのでどうかは知らない

リンク

  • シャーペン
    • パソコンで書くと水増しされて、シャーペンで書くと研ぎ澄まされていくの、痛いほどわかる