第16回ウディコン全作品レビュー - 魔族倒しFINAL

17. 魔族倒しFINAL

ジャンル 作者
ノンフィールドRPG/ADV プルゲーム
プレイ時間 プレイVer クリア状況
3時間30分 1.01 TrueEnd

良かった点

  • 壊し要素もありつつ考える余地のある、プレイヤー優位なレベルデザインとなっています
  • 渾然一体となったカオスな体験ができます

気になった点

  • 相性表の記載がデッキ構築時にもあると有用そうでした

レビュー

迸る思想と安定したゲームデザイン

魔族倒しFINALは、カードを集めて敵と戦うノンフィールドのデッキ構築型RPGです。
ステージの節目ごとに長尺のイベントも挟まれていくデザインのため、アドベンチャーゲームと捉えることもできるかもしれません。

ステージを攻略するためには戦闘を効率良くこなし、敵を上手く倒していくことが求められます。
戦闘はカードゲームのような形式で行われており、自身のデッキに組み込んだカードが勝敗を左右します。カードは敵を倒すことでランダムに選ばれた3枚から1枚を取得できるため、何を選択して組み入れていくかによって戦略は変化します。
回復を主体として立ち回ることもできますし、コストを抑えめにして手数を増やすでも、重いコストの攻撃で一気に仕留めるでも、戦略はプレイヤーに委ねられています。状態異常や相性による弱点も勘案しつつ、戦略を練って上手く敵を倒していきましょう。
また、敵と戦う際は連戦における最後の敵を強力にする代わりに報酬を引き上げることもできます。現在の状況と相談し、できるだけ報酬を増やしていけると後々有利になるでしょう。

そうして敵を撃破し続け、ステージ最後のボスを倒すことによって、シナリオもまた進んでいきます。
このゲームのもう一つの本丸とでも言うべきその物語は、主に主人公の語りという形式で行われます。その語りとイベントから生み出される、余すところなく敷き詰められた思想の発露と奇妙なMVのような動画のコンボにより、未だかつてないような体験が提供されるでしょう。

優秀なカードを多く取り揃えることで、難易度をプレイヤー優位とした安定的なレベルデザインのステージと、圧倒的な混沌に叩き込まれるアドベンチャーパートの対比は鮮明であり、渾然一体とした独自の空気感を醸成しています。
カオスな世界へと足を踏み入れてみましょう。

感想

ここまで問題作というか怪作と言いたくなる作品はほかをおいて無いんじゃなかろうかという作品でした。淡々と進むゲームデザインからいきなり繰り出される迫力のある論理展開、そして唐突に流れ出す動画と、あらゆるものが凄まじいパワーを持って迫ってくるような作品です。

作品性は後に話すとして、ひとまずゲーム性について話しておくと、システムとして安定していて、ある程度デッキ構築していく楽しみもあります。
強敵を倒すと二倍の効果が得られるので、できるだけ強敵を撃破しつつ、回復も加味して引き際を見極めるのも大事になってきます。
体力と精神力が分かれているのも面白く、被弾を拒否して強いカードを使って精神力を消費しに行ったり、最後のトドメを弱いカードに任せて温存したり、細かい戦術の立ち回りが効くようになっています。

ただ、この辺の繊細なムーブが必要なのは序盤だけで、ルーナスカーレットを引けると色々考えずに済むようになります。彼女は体力と精神力の双方を回復するので、最後にこれで締めることができれば、それまでのダメージも精神力の消費も無かったことになるからです。
その他にもいくつかかなり優秀なカードがあり、これらが揃ってくると負けるイメージが湧かなくなります。報酬で体力を上げていければより万全で、妙な状態異常を通されない限りはピンチに陥ることすらありませんでした。

ただ、このルーチンが構築された後でも、そこに持っていくまでのカード回しなどの概念は残るため、戦闘はある程度面白さを保ち続けるのが良いところです。
スカーレットに被弾少なく繋ぐためにも、どこで稼ぎ、敵の攻撃のどれを防ぎ、どの状態異常を通すかの駆け引きは依然あります。
特に、状態異常をつけて敵を倒すと2体目にそれが引き継がれる仕様なのか分からない現象を上手く活用するのが楽しく、強力な最終の敵に最初から行動不能を押し付けて場を有利に展開できるようになります。

全体的にプレイヤー有利っぽいバランスに見えるので、この辺の壊れカードも意図したバランスなのかもしれません。必ずもらえるカードも割と強いですし。

なお、相性表については戦闘中表記されているので覚える必要がないと思いきや、戦闘前には見えないので弱点をつく気なら覚えておくのが無難です。デッキ構築する際にも欲しい情報な気がする。
特に序盤は相性次第ではかなり大変なので、覚えておいて損はありません。

では、ゲーム性以外の部分について話します。割と明け透けに話すので、あんまり見たくない方はここで見るのをやめて下さい。隙自語でもあります。
ゲーム内でも明け透けなのでおあいこということで。

まず全体的に整理すると、資本主義社会への怨嗟と、ジェンダー論と、排斥的な集団に対する意見、活力に対する持論、和を以て尊ぶところからベーシックインカムの話に繋がる、くらいの構成になっています。
そこに遍在するのは競争というものへの強い忌避感であり、なにゆえ最大に繁栄した霊長類ともあろうものが競争で食い潰し合わねばならんのかという協調主義的なところを感じました。

その競争の最たるものである資本主義への憎悪は、その意味では妥当なところだと感じていて、そこから出発したものが共産主義と今日呼ばれるに至ったものへと繋がっていくのかなと思います。
ただし、競争の徹底的な否定は一歩先にポルポトがいたり、別の方向にはキムさんなどの独裁への道が開かれていたり、割と茨の道ではある気がしています。
競争のない世界というのは言い換えると下克上のない世界なので、独裁に都合が良いんじゃないかなと思っています。これを避けるのは富の再分配などの格差是正策だとは思うんですが、それをやれる人材が競争のない世界でどう生まれるのか、あたりに自己矛盾を抱えそうではあります。あるいはプラトンの哲人政治に回帰するべきなのか。
その辺を鑑みると、競争原理を適用しつつ、こぼれ落ちるものをできるだけ拾い上げる現在の仕組みの妥当性をある程度は評価したいなと考えています。塩梅が難しそうですけどね。

ジェンダー論はおおむね体験ベースで語られている印象があり、根拠がよく分からないグラフも出てきます。
原則的には女性が同質性を求め、男性が異質であろうとすることを基軸とし、それぞれがそれらに邁進する競争を嫌っているという印象でした。
これらの競争はモテに繋がっていく、あたりは論理が追えていなくて、そのまま論理を適用すると同質性のある男性、異質な女性がモテそうな気がします。このあたり、自分にないものを求めている、と解釈すべきなのか、反対に女性は異質を求め、男性は同質性を求めるからそれに準拠している、と考えるべきなのかは難しいところです。
いずれにしても、魅力的であろうとする努力というものの存在は分かるところなんですが、筆者個人はここをサボってるのであんまり言えることはありません。
感覚的には競争の行き着く先はルッキズムではないか、という問題提起っぽいなとは思っていて、そこ自体は大きく外していない気はします。努力は認められるべきであっても、それを他者に要求しだすと厳しいことになるので。
競争があくまで自己研鑽にとどまるのであればそれは個々人の自由と信条であり、他者をも秤にのせて蔑むのであればルッキズムの発露に他ならないと思うので、要は程度問題かもしれません。あんまり行き過ぎると確かに怖いですね。なお、要は程度問題、便利すぎて議論じゃ使っちゃいけない言葉なんですが、まあこれは語りなので見逃してもらうとします。

排斥的な集団についての意見に関しては、そもそもの発端からしても完全に体験ベースです。
自己を高めるばかりに他者を蔑ろにしているのではないか、競争という場は余所見を許さずに、そこで楽しもうとしてるものを見落としているのではないか、あたりの怒りと解釈しています。
TCGはDMとポケカを多少嗜んだ程度で良く知らないので言及を避けますが、一応ウディコンはプレイヤーとしてちょっとだけ見てきたので、多少話します。
作中でウディタ界隈の部員、という表現が出てきたあたり、ウディコンという場自体をそういった界隈のお祭りと捉えていそうな気がしていて、そうだとすれば割と解釈違いではあります。
ウディコンという場はふらっと出現する新規の方の作品も面白く、ある程度参加回数を重ねた歴戦の方の作品も面白い、結構バランスの取れた場だと感じているので。今後過疎化が進み、ある程度内輪っぽくなる可能性は否定しませんが、現在のところはそこまでの空気は感じません。
なので、排斥するも何もそもそも集団として構成されているものなのかというレベルで疑問には思っています。横の繋がりのある作者さんも多数いらっしゃいますが、それはそれとして持ち込んでワイワイやってる感覚が一番近いです。
この作品がウディコンに出て恙なく評価を得て終わるあたりからも察せられる程度に、規約にさえ違反しなければなかなかフラットな場なんじゃないかと思っています。まあ、筆者はここにゲームを出したことがないのでこの感想はまあまあに空虚だとは思いますが。

活力が地球温暖化に繋がる、あたりは風が吹けば桶屋が儲かる的な意味合いでは間違ってないんだろうなとは思っています。人間の飽くなき経済活動こそが温室効果ガスを生んでいる面は否定できるものではありません。
ただ、これは国家単位、あるいは種全体のレベルの問題なので、個々人がどうにかできるようなものはあんまりなさそうです。
いわゆる持続可能な社会の構築を個々人が目指していき、全体の流れを少しずつ変えていくのが筋が良いんだろうなという肌感覚を持っています。そういう意味ではSDGsは思想自体はそこにいるんですけど、EUの環境ビジネスが絡んでいるせいなのか、揶揄の対象になっちゃう現状はあんまり好ましくないのかもしれません。

和を以て尊ぶ国民性については筆者はだいぶ懐疑的ではあります。聖徳太子の時代からあるそれが論拠の出発点になりそうですが、ルール化したということはルールで縛らねばならないものであったとも解釈できます。性悪説じみてますね。
そもそも平安時代を除いてほぼ戦乱の絶えなかったわが国がそれほど競争しない人種であったのか、というあたりから疑問符が点灯するかもしれません。平安時代ですら都における政治闘争は激しかったようですしね。創作になりますが、ドリフターズでアナスタシアに寝ても覚めても互いに殺し合うことしかしない連中と言われるだけの存在ではある気がします。

そして、そこから繋がるベーシックインカムの話も難しいところです。生活保護がかなりベーシックインカムに近い存在ではありそうで、ここが広がった状態をぼんやりと考えるなどはしています。
市場クロガネは稼ぎたいでも取り上げている通り、一律配ることにすれば諸々の手続きが簡素化して良くなるといったメリットもあるので、ある面においては生活保護を超える働きを示すだろうなとは思います。
これは本当にどこかで社会実験でもしない限り成否の分からないところであり、手を出すのはだいぶギャンブル性が高いんじゃないかなとは思います。人間は所与で充分であった時に、なおも求め続けるものなのか、その答え自体は見たいのでどっかでやってくれないかな。

ただ、その前提としてある団結せよ、というあたりは若干主張の中でのブレを感じました。
それを可能とするのは弛まぬコミュニケーションの結実に他ならないと思っていて、そしてそれらは集団に対する苦言と表裏一体なところがあります。
TCGの件でもそうなんですが、集団に属し、集団の中であるいは集団を通して行動するというのは声をかけるといった初手から始まる一連のコミュニケーションから始まるものだろうと思います。
これは筆者の苦手とするところなので良く分かるんですが、コミュニティの輪に入るというのは棒立ちしていれば勝手に入れてくれるものではなく、積極的な行動の向かうところにあるものと解釈しています。
そういう意味では、団結せよというその団結の輪に入るには、前段でそこはかとなく否定している集団への帰属努力が必要になる行為なのかなと感じていました。

後、これは至極個人的かつ論拠のない意見なんですが、何故ネアンデルタール人が滅亡したのかということを引き合いに出す論理は大体疑ってかかるようにしろとばっちゃが言ってました。
あの辺のことは分からないことが多いので、偽を根拠とした推論はどんな結論であっても導くことができるように、あんまり信用できる論ではないんだろうなという印象です。ちゃんとしてたらもっと論拠のはっきりしたところから引用するはずなので。
さらにもっと個人的な話をすると、人間と本能を論じるのも割と変だと思っていて、人間は社会的動物であるという言葉をだいぶ傲慢に解釈したものなんじゃないかとは感じています。
我々はいわば社会性という本能を抱えているだけというか、動物のなす行為を全て本能と片づけているだけというか、そういう傲慢さを感じます。まだ感情と論理と呼んでくれた方が飲み込みやすいです。

唐突にこのゲームの良いところの話をすると、上記で綴ったようなこの作品の主張は、けれど押し付けてくるものではありません。あくまでも作中人物を介した表明にとどまっており、いくつかの例外はあれど、原則的にはそれを否定するものに対する人格的な攻撃はそんなにありません。全体を通して、陽の存在にはだいぶ辛辣ではありますが。
なので、対するプレイヤーもまたそれらの諸問題に対して自己の認識を整理し、こうして己の中にある曖昧な部分を明文化できる良い機会が得られるという寸法になります。
他者からの忌憚ない意見の表明をもって、自分の意見を見つめ直せる良い機会になる、そういった作品です。みんなも5000字くらい感想を書こう。